昨日は「放射能汚染水(処理水)放流中止 日韓市民徒歩行進」の横浜―川崎間に参加できました。
この行進は、韓国脱核エネルギー学会副会長などを務められている李元栄(い・うぉんよん)先生たちが、6月18日にソウルを出発、テグを経由しプサンに7月15日(500㎞)に着き、そこから船で下関へ、下関を7月16日にスタート、広島・大阪・名古屋を通って9月11日に東京国会議事堂へ(1100㎞)という1600㎞の「大長征」です。
私は「汚染水流すな」のボードを持って9月15時に横浜駅西口から参加、国道1号線を通って川崎駅西口までの12㎞ぐらいでしたか、歩きました。
川崎からは反ヘイト読書会のお二人も参加、元気に歩いていました。
李先生は自ら「放射能汚染水海に流すな!」「子どもが危ない、汚染水流すな」と日本語でコールを連発、私たちも一緒に声をあげ、歩きました。
私も昔は横浜・川崎間を50分ぐらいで走っていましたが、今回は歩きなので大変です。
そして横浜駅からすぐに青木橋というところがあります。そこは100年前に朝鮮人を500人も虐殺したところです。軍・警察・自警団・市民によって500人を一挙に殺戮した当時の日本社会!もうこれは朝鮮人皆殺しの戦争でした。そして今、「放射能汚染水を海に流す!文句を言うな」と海外に一方的に「言い渡す」ことは、もう一度の侵略宣言ともいうべきです!
そうしたところも通っての、途中休憩も含めての3時間30分の旅でした。ようやく鶴見川を渡ったぐらいで暗くなってきました。
あと3㎞、尻手を右に曲がってようやく川崎駅が見えてきてほっとしました。川崎ではほんとうに多くのみなさんが出迎えてくれました。
鈴木さん、みなさん、ありがとうございました。そして李先生は今日7時に川崎を出発、東京へ向かっています。11日(月)15:30からの経産省前集会でお会いできると思います。
そして今日10日は14時から脱原発かわさき市民・溝口駅前での署名とスタンデング、よろしくお願いいたします。きたむら
汚染水を流すな! 福島→東京キャラバン】 の報告
(9.6郡山出発→9.11東京・霞が関)
6日(水)第1日目は大雨。昼過ぎ郡山を出発→三春町→東海村→水戸泊。
車の到着が大幅に遅れてしまったことから、日帰り予定の H さん不参加は残念。軽ワゴン車に3名、三春町「まほら」の屋根のある駐車場で看板取付けを完成し(木枠を作ってくれたSGさん、素敵な看板デザインのSさんに感謝)、いよいよ出発。豪雨で結局いわきスタンディングはあきらめ、水戸まで直行。避難者でもある、何年かぶりのKさん夫妻に会えた。どうしたって事故直後の話になり、ザワザワ感がたちまちよみがえる…。でも、私ら、これを忘れちゃいけないよね。あちこちで本当のことを話そうね、忘れないように書き留めておいた方がいいかもよ〜などと。お互いに身体に気をつけてやっていこうね。
7日(木)水戸→東海村街宣→我孫子駅前街宣→成田・日本山妙法寺泊。
この日は天気に恵まれて街宣もやりやすかったが、予想外に移動に時間を取られてしまった。夜7時半にやっと三里塚・日本山妙法寺道場に到着。庵主さんのご両親に温かく迎えていただいた。由季庵主さんは3.11には必ず福島入りして、私たちの主催する集会とデモ行進に参加されている。今日は、やはり福島から行進中でお会いはできず。(9.11新橋で会いましょう)
ささやかな、しかし、いくつもの祈りが大きな流れとなって、フクシマの ’本当の復興’ への道が開かれますように!
8日(金)浦和駅前街宣。台風の影響下、横から吹き付ける風雨で全身びしょ濡れ。寒くなってしまったが、車中の温風で乾かす。→高崎駅前金曜行動参加。311直後、緊急避難先が肉親のいる高崎だったことから縁があり。高崎・G労組事務所泊。
9日(土)群馬の森「朝鮮人慰霊碑」訪問。この追悼碑が撤去されようとしていて、現在裁判中だ。→「藤岡の関東大震災100年 朝鮮人犠牲者慰霊祭」に参加。虐殺犠牲者の遺族の言葉のあと、慰霊の舞と慰霊の歌。歌は李政美。→滑川町「ギャラリーかぐや」。戻って、高崎・T農場泊。
10日(日)熊谷駅前街宣→「道の駅はなぞの」街宣→川越駅西口デッキ街宣→所沢駅東口街宣→北朝霞駅発「さよなら原発・戦争、朝霞デモ」参加&一部コール。最強行の日。クタクタ。練馬・Tさん宅泊。